恐怖の館を読み解く
事件はフランスのナントで起きる。
容疑者はグザヴィエ・デュポン・ド・リゴネスという人物。
2011年4月11日隣人がポストにあるメモに「差出人に返送願います」とあるのを見る。
いつも空いている格子が閉まっている。
13日隣人は警察に調べてもらうよう連絡した。ドアの鍵が閉まっていて鍵屋を呼んで空けて中に入ってみたがベッドにシーツが無い以外おかしな様子は見られなかった。
警察は一家が自ら家を出たと判断した。
14日隣人はド・リゴネス一家から手紙をもらった。
手紙の中にはDEAのスパイになってアメリカに行くのでもう会えないと書いてあった。
グザヴィエは人々から尊敬されていた。妻のアニエスは敬虔なカトリック教徒で毎週教会へ
行き嘘を言う人物ではない。
2人はグザヴィエが20歳の時出会った。アニエスは16か17歳で彼に夢中だった。2人はとても愛し合っていたがグザヴィエは冒険好きで新しいものを求める人で別れて旅に出た。
1年後彼は帰郷するとアニエスが他人の子を妊娠していたが結婚して子供を引き取り名前も継がせた。彼の地元のヴェルサイユは古い町で未婚の母との結婚は考えられない行動だった。
アニエスの家族は手紙をもって検事を訪ね。彼がこんなことを書いているが信じられない。黙っていくはずがないと主張した。
15日警察が再訪して詳細な捜査をした写真立てから写真が抜けていたが人は家を出るとき大事なものを持ち出すので不審な点はなかった。
絶対におかしいとアニエスの家族が警察に訴え18~20日まで訪問したがおかしな点はなかった。
21日警部補が一つ不審な点に気づいたのでテラスの下を掘ってみたらビニール袋があってテープで縛られていた。
テラスからは全員が発見された。
布団と掛布団にくるまれて縛られてビニール袋に入れられていたが各遺体の横に信仰の印があった。ろうそくや十字架埋葬を模したようだった。
被害者との間に愛情があったという証拠でもあった。
失踪したグザヴィエは国際手配となった。
子育てにも積極的に面倒を見た彼が何故そのような凶行を行ったのだろう。
解剖で子供たちの体内から睡眠薬を検出、アニエスからは不検出、彼女は睡眠時無呼吸で装置を使用していた装置は4月3日から4日の午前3時に停止。
子供らは銃で頭を2発撃たれていた。確実に仕留めるためだろう。残酷だ。
使用されたのは22口径のロングライフルだが寝室に血痕が見当たらない居間でも検出されなく一切痕跡がない。
警察はグザヴィエを調べると本来の生活が見えてきた。2000年代始め米国へ移住を試みて失敗。移住計画のため財産をほぼ使い果たしてしまった。
過去10年間は失敗続きだった。
大金を失い管財人に追われ問題ばかりだった。彼は会社が倒産すると分かっていたのだ。
いずれ家も手放すことになると彼が失敗者だと知られてしまう。
2011年1月20日、一家殺害3ヵ月前。グザヴィエの父ユベールが亡くなりグザヴィエはアパートを引き払うため父親の私物を整理した。
必死に探していたのは父親の指輪だった。
何か財産が残されていないか調べたが何も見つからなかった。
父親は寂しい最期だった。病気、孤独、貧困そこで銃を見つけたのが22口径ロングライフル。
2月2日銃器許可書を取得。銃に興味のない彼が許可をとるとはおかしな行動。
遺品の銃を入手した直後射撃の練習をしだした。
3月12日サイレンサー購入。明らかにおかしい。
事件現場で新たな発見があり実の息子(長男)は別の日に殺された。
4月5日に父から電話「すぐ帰れ母が事故にあい意識がなく危ない状態だ」と言った。
5日の夜に家に帰った。トマの最後の連絡は夜12時頃友達へのメッセージ送信だった。友達が12時過ぎに返信したが連絡なし。計画的でかつ残酷だ。
一家の最後の目撃は4日。
22日グザヴィエの車がホテルの駐車場で見つかった。
犯行は4月3日夜から4日早朝に行われ5日にトマの殺害。6日は家の外でグザヴィエを目撃。
殺害から一週間後家を出て10日正午前後ホテルでカードを使って食事。翌日は南下南西の方角へ向かった。
どこにでも痕跡が残っていた。
14日ロクブリュヌ・シュル・アルジャンのホテル F1の監視カメラには駐車場を横切る彼の姿が映っていたバックの下の方に何か長いものが入っていた。
彼はカメラに手を振る15日防犯カメラに映像が残っている。
22日警察が山を捜索彼を知る人たちは南米に逃げたと確信している。
自分は違うと思う。F1ホテルのすぐそばに高速道路が走っている。誰か車に乗せてもらえる人間を探しお金を渡してスイス、リヒテンシュタイン、オーストリア、チェコあたりに逃げたのではないかと思う。
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