つい最近の出来事ですが、銀行に用事があって駐車場に少し入ったら
駐車場に入ったすぐ手前で左によってワゴン車がハザードランプを付けて止まっていました。
右側は通り抜けることもできず駐車場の中に入ることもできない状態です。その状態が2~3分たったら
老人が怒って車から出てきました。「何やってるんだよお前、駐車できないだろ後ろ下がれよ」
お願いされるならわかりますが、命令するのは考えられませんね。しかも私の後ろにも車がいました。
さらに止まりたい場所というのはすでに車が止まっておりそこに車を止めるのだというのです。
その止まっている車は私のすぐ横に止まっていました。
彼らのその止まりたいという会話のやり取りをどう予測できたでしょうか?
70~80%の人は中に入っちゃうと思います。私は自分の車分だけ入れました。
私から言わせれば訳の分からないところに止まってほかの車の邪魔をしてるとしか思えません。
だから入ったのですけど。普通なら車が出てから駐車するという行動をとるはずです。
そうしてハザードランプを付けていれば入るのだなと理解できます。
彼らは一番端に止まりたいというわがままがあったのです。そうして止まっている車と交渉したのでしょう。
それをどう知りえることができるのでしょう?
「後ろに車がいるからバックなんかできないよ」といいましたら「じゃあ前行けよ」また命令でした。
さらに駐車場から出ようとして出られない車がいたのでした。3台の車の邪魔をしていたのです。
止まってから一言を言いたかったのですが我慢しました。面倒を避けたかったのです。
この話から何が見えるでしょうか?
老人の情報収集能力は知れています。70~85%以上テレビしかありません。
日本のテレビはつまらなくてテレビ離れが激しいと思います。詳しく調べたわけではありませんのではっきり言えません。
日本のテレビ業界はNHKを含め老人だけが頼りの綱なのです。
そのためには老人においしい飴を与える以外に引き付ける要素がありません。
簡単に言えば日本のテレビ業界が老人を甘えさせているのです。そしてそれが当たり前だと思ってしまうのです。
よく聞く話では、最近は老人を敬ない(うやまう)と言われます。それを老人本人が言うのです。
私から言わせればその本人に尊敬する要素がなければ敬うはずがありません。
ただ、老人たちはそれを当然の権利として請求するのです。
それは権利ではなく甘えです。
過去にさかのぼれば昔の老人は大人しくて忍耐強く知識も経験も豊富でした。
ですので人生の先生となり得たのでした。今はといえば真逆です。
この先に見えるのはよくない未来しか見えません。さらに悪くなる可能性もあります。
はっきり言えば昔のほうが生きやすかったとしか思えません。もっと自由であって意見も言えたし
(言論の自由)今はスマホが人生を困惑させ惑わされています。また検索してもろくな結果が出てきません。
10年以上前はかなり検索も使えるものだと思いましたが今は違います。進化しているはずが劣化しています。
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